カッコつけたいお年頃なんですよ、怒りの葡萄なんて持ってきた理由。
ごめん嘘。スタインベックが好きなんです。二十日鼠と人間とか。
あと真珠とか。小沢は関係ありません。
と言うわけで

怒りの葡萄
ASIN:4102101047
ASIN:4102101055

映画の方は残念ながら見てません。
ブリジット・フォンダの親戚(ヘンリー・本田って言え)が主役の殺人犯やってるらしいですね。
どうでもいい情報をこうやっていきなり書くとなんの話だかわからなくなって大変良いと誰かに教わりました。
あらすじはあまりにも有名なので割愛。こればっかだな。
機械化、資本化の進む中で職を、土地を奪われ、夢のカリフォルニア(@ママス&パパス)を目指すジョード一家、及び宣教師。
浄土一家と宣教師ってパーフェクトですよね。俺は何を言ってるんだ。

肥沃な土地、まっすぐな木々の列、がっしりとした幹、熟した果実。
そしてプラグラ病にかかった子供は死ぬより他に道はない。なぜならオレンジからは収益があがらないからだ。
検死官は、死亡証明書に、こう書き込むにちがいない−−栄養失調により死亡−−。
それというのも食料は腐らせねばならぬからだ。むりにでも腐らせねばならぬからだ。
人々は網を持ってジャガイモをしゃくいに来る。すると番人がそれをさえぎる。
人々は山と捨てられたオレンジを拾いに、がたつく車でやってくる。
しかし、それには石油がまかれている。人々は、じっとたたずんで、ジャガイモが流れてゆくのを見まもる。
穴の中で殺される豚どもの叫びをきき、その穴に生石灰をかぶせられる音をきく。
腐って崩れてゆくオレンジの山を見まもる。
そして人々の目には失望の色があり、腹をへらした人たちの目にはわき上がる怒りがある。
人々の魂のなかに怒りの葡萄が実りはじめ、それが次第に大きくなってゆく−−収穫のときを待ちつつ、それは次第に大きくなって行く。

−−大久保康雄訳


いまだにこれは形を変えて残っていますね。
飢えた子供の隣で、指をくわえてみている人の前で、出来の悪い作物を捨ててゆく。
資本の是非など僕にはっきり答えなど出せないけれど、険悪な気持ちになります。
そこにはっきりと抗議した宣教師ケーシーは「赤のちくしょうめ」と無惨に殺されてしまう。
ケーシーはきっと、蝿の王のピギーです。
いくら正しいことを言っても、弱者は弱者であって、無力である。
資本社会には資本社会なりの正しさ、と言うものがあるのはわかります。
だけど、十万を飢えさせ、たったひとりが君臨する社会はやはりどこか歪んでいる。
そして、人間はそのなかで生きてゆく。
どんな場所でも、どんな困難でも、それでも人は生きていく。
怒りの葡萄が収穫されるのを待ちながら、強く。
ジョード一家のこの物語はただ無惨に哀しく、それでいて力強く、美しい。
スタインベックの(訳本しか読んでないけど)怒りを抑えた筆致がそれをさらに高めています。
残念ながらキリスト教周辺には疎いので、出エジプト記なんかは分かりません。
けれどそんなのを抜きにこの作品はやはり名作です。
どうでもいいけど田舎弁は勘弁して欲しいですね。あんな言葉で喋る奴いないだろ。

しかしまた高校生以下の感想文だな。こりゃ。
バカなりになるべく変に偏らないようにとか考えるのが行けないのか。
どうせ偏ってるんだから突っ走ればいいのか。
でも思想的なものとかはっきり指針になるもの持ってないしなあ。情けねえ。