ボウリング・フォー・コロンバインスローターハウス5
続けてみてなんだかすごく厭な気分を抱え込む。
そういうものだ。

色々と浮かぶことはあれど、そういうものだ。
ヴォネガットのいったその言葉が全てを表している気がしました。
結局怯えているからだ、と言うムーアのことばに荒俣宏の書いていたことを思い出す。
夜や物の怪のたぐいの怖さは消えて、残ったのは自分自身と隣人なのだ、と。
対策を講じてこなかったから、隣人に怯えるんだ、と。
勿論これだけではなかったのだけれど、これはやはりある種の真実をついている、そんな気がする。
ケッチャムの作品もそうだ。スティーヴン・キングもそうだ。
勿論ケッチャムやキングにも伝奇的なものはあるけれど、
彼らの作品に潜む根底的なものは、「無害そうに見えるなにか」、
つまり対策を講じてこなかったそれらに対しての恐怖が見える気がするのだ。
なんだかよくわからなくなったのでもういちど考え直して出直します。